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純ジャパの私が高校で1年交換留学し
上智大学国際教養学部に入学を果たす

このようなプロフィールは皆さんのお役にはたてないかもしれません。でも純ジャパの自分が、夢にまでみた上智大学に入れたことは、自分の中では奇跡に近い出来事だったのです。

ごく普通のサラリーマン家庭に育ち、日本の小、中、高校と、すべて公立校で教育を受けました。小学校4年生の時、私は北海道の田舎の山奥に住んでいましたが、ハイカラな精神の母のお陰で、毎晩寝る前に、英語を勉強していました。都会とは程遠い、熊が出るほどのド田舎でしたが、母のメンタリティーだけは実にモダンでした。どこから情報を仕入れてくるのか不思議なほど時代を先読みするようなセンスがありました。まだ日本人がPIZZAという名前も知らない頃に、ガスストーブの上に置く形のオーブンで「ピッツア」(と母は呼んでいた)を焼いて食べさせてくれるような母でした。その母が「東京こども英語協会」という会社から小学生用の英語の教材(当時、ソノシートというレコードがついていた)を取り寄せてくれて、毎晩、20分くらい母と共に英語のレッスンをしていました。

その頃から英語に非常に興味を持ちましたが、学校には中学になるまで英語はありません。大阪に引っ越した小学校5年の時、父と家の近くを散歩していて、父は私に突然いいました。「中学から一生懸命英語を勉強したら高校で留学することもできるんだよ」。その頃、交換留学というのはほとんど知られていませんでした。今考えると、父もそうした情報をどこから取得して、私に教えてくれていたのか不思議です。でもその一言がその後もずっと頭にこびりついていました。

中学では案の定、英語に没頭しました。すべてが好きでした。高校に行ってもです。気がつくと高校1年生。あ、父の言っていた高校留学というのは今だ、と思いました。早速自分で調べた留学機関IF(「高校で留学」のページを参照のこと)を受験してみました。何しろ、留学するには英語の力が必要ですから試験があるのです。結果は不合格。公立高校のレベルの英語ではだめなんだと思いました。まず、英語がまったくしゃべれませんでした。まったく口から出てこないのです。知っている単語の量もあまりに少なく、長文をすらすらと読解するなんて、夢のまた夢。一字一句辞書がなければ、まったくわからない状態でした。

それから1年間、留学準備のため英会話などの総合的能力をつける特殊な塾に、毎週土曜日、学校が終わってから代々木まで通いました。(それはIFという機関が紹介してくれた特別なものでした。)当時筑波大学のアメリカ人の講師が独自にテキストを作成し、アメリカの家庭、学校、友人同士などさまざまな場面別のネイティブの自然な会話、マナー、アメリカの高校で授業を受けたらどのようにノートをとるかなど、細かに教えていただきました。そして1年後、同じ留学機関の試験を受け、今度は合格。私の場合は高校3年になってやっと米国に出発したのです。

1年といってもアメリカの学校のスクールイヤーですから厳密には約9ヶ月でした。本当に自分の価値観がころっと変わるような新しい経験でした。こういう体験はあとにも先にも、十代にしかできません。細かな体験談はここでは割愛します。ただ、帰国するころには、日常会話は普通にできていました。米国にいた期間は、両親への手紙以外、自分で日本語は一切禁じていました。読むことも苦に感じないようになっていました。アメリカの高校は卒業して帰国しました。

帰国してお世話になったのは、トフルアカデミーという代々木にあった予備校でした。上智大学の比較文化学科(今の国際教養学部)にどうしても入学したかったので徹底的にTOEFLやSATのクラスを受講しました。高校3年で留学したので、帰国した時点でもう同年代の友人は高校を卒業していました。私は公立高校に通っていたので一年下の学年に下がり、復学したのです。(当時、米国の高校の卒業証書があれば、日本の高校を卒業しなくても、比較文化の入試資格はありましたが、私は復学しました。もう少し勉強しないとTOEFLやSATでいいスコアを取れないと自覚したのも理由です。)4月入学のための受験日までに本当に限られた時間(半年)しかありませんでした。文字通り必死でした。

SATのVerbalで自分が覚えられない単語を紙に書いて、家中の白い壁に貼り付けていました。自分が起きている時間はいつも壁をみて単語を確認するような状態です。天井やトイレ、玄関までスペースがあるところにすべて貼り付けていました。それだけしても覚える単語はまだまだあります。当時のトフルアカデミー講師、森田先生という方がEtymology(語源学)を教えてくださり、まったくどういう意味か検討のつかない単語でもラテンやギリシャの語幹の意味を知っていれば、多少なりとも未知の単語の意味がわかると教えてくださいました。これは役に立ちました。

起きている時間はそうした単語の暗記と長文読解、文法問題など、がむしゃらにやりました。そのかいがあり、TOEFLもSATも当時比較文化学科への入学で必須とされるスコアをクリアできました。6月に帰国して、わずか半年でスコアが2倍以上になったのです。人間はやればできるのだと確信しました。

今でも忘れません。上智大学比較文化学科と書かれた封筒が自宅に届き、合格と書いてあったのを読んだ瞬間。「受かった」と言って、その場にへなへなと崩れ地面にペタンを座ってしまった自分。それを見た母が台所から駆け寄って私の肩を包んでくれました。

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